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Calm breathing
独学ピアノの記録
ミヨシ・メソード5と、「あの日のシンバルの音」
2018年06月27日 (水) 13:23 | 編集



ミヨシ・メソード続きをyoutubeにアップしながらも、記事に出来ずにいました。単に時間が足りなかっただけですが。
5巻の要となるのがこの練習曲シリーズです。各調の構成音になじみながら指の運動性を高めるという目的のこの練習曲シリーズ、いわゆるハノンみたいなものなんですが、美しいのです!指の運動曲が美しいのですよ!!さすが三善先生!
それで、とても時間をかけて1曲ずつ弾いていたのですが、録音は6曲いっぺんにしてしまいました。が、2曲ずつ紹介していきます。
指の動き的には同じパターンが続きますから、黒鍵を押すときの指の動きが難しくなったりもしますが、こういうのバッハなどに応用が利く「インチキめいた」指使いなんですね。
個人的に、ハ調の自然で淡い色使いをイメージする曲(うすい虹のかかった朝の海)、古城と松と夕焼け、日が沈む直前をイメージするイ短調の曲です。

さて、ピアノを開始して今月末で10年になります!
表現することの楽しさ、深さへの興味は尽きず、今後ピアノをやめることはないと思っています(忙しかったり、気分が乗らない日はあったとしても)。

最初は、指の運動的な感覚だったピアノ、それはそれで楽しかったけれど、ブルグ25で人によって大きく演奏が違ってくるということを知って、と書いたことがありましたが、ん?それってブルグ25じゃなくて、もっとずっと前に気付いたことあったよなあ・・・となぜか最近思い出しました!そのことについてちょっと書きたいと思います。

「あの日のシンバルの音」

ジャーーン!!!
大きなシンバルの音が会場に響き渡った。流れるような静かなフルートの時が止まる。
それを追うように駆け抜けるクラリネットの旋律は、再び時を現在に掻き戻す。それにシンバルがまた追い討ちをかけるように鳴り響いていく……

「なんだこれ!」
A中学吹奏楽部員の一人として会場の後ろで立ち見していた僕は、ただただ衝撃を受けた。そして、A中の負けを確信した。最初のほんの数小節での実感、いや体感だった。その後は、悔しくもなく哀しくもなく、ただただ、そのK中の演奏に聴き入った。高い調和の取れたその演奏の迫力は、吹奏楽経験の中で、今までに聴いたことのないものだった。

「うん、A中は完敗。」
もはや、同じ課題曲を演奏しているとさえ思えなくなった。聴いているとどんどん世界観に引き込まれていく。
演奏終了後にはちょっと笑ってしまった。厳しいA中学吹奏楽部にとって他校の演奏を聴いてニヤけているとか許されないことだったが、幸い会場は暗いから誰にも見られなかった。
その後も他の学校の演奏をいくつか聴き終わり、しばらくすると、結果発表の時間となった。

会場にアナウンスが流れる。
「金賞、K中」
そりゃ当たり前だろう。そう思った。
そして、A中は、奨励賞という、いわゆる参加賞だった。

部員達が会場の外に出る。皆泣いていた。悔しい、悔しい、金賞を狙っていたのにと。
「いや、金賞ねーだろ」と内心思ったのは事実だったが、さすがに口にしなかった。
多分、皆で頑張ってきたから、大望を抱くし、また悔しかったのだろう。
A中吹奏楽部は、部活動の花形で、最も人気があり、最も厳しい部活動、先輩後輩の上下関係が厳しいことでも有名であった。ちょっとでも何かあると呼び出されて説教をくらう。初期新入部員は100人近くもいたが、最終的に十数人に落ち着くことになる、そんな部だった。

そんな試練を乗り越えてきた仲間と皆が泣く中、僕はひとりだけ泣かなかった。
あのシンバルの音の時点で、A中の負けを確信し、K中の演奏を崇拝するかのごとく聴き入ってしまったからというのもある。僕の悪い癖で、極めて択一した芸術表現は崇拝してしまうところがあった。
そして、みんなと一緒に頑張ってこなかった(元々マイペースでそれを崩せる性格ではなかった)からというのももちろんあった。

そんな僕が、その上下関係厳しい部に所属したままでいられたのは、いくつかの理由があった。
1.入部時、3年の先輩に従兄弟がいた。一目置かれている従兄弟だった。美少女で有名で、数学の成績がすこぶるよく、地区の模試でひとりだけ満点ということもあったという。
2.音楽経験者は運動部並みの厳しい練習内容や上下関係が嫌になり辞めていった中、僕は譜読み係だった。
3.女性の先輩方に気に入られていて、皆が集まるミーティングでは、何を言っても言わなくても、先輩達の「キャー、ゆきなぎカワイー!」で、終わることが出来ていた。
この3に関しては、そういうのを望んでなかったので別に嬉しくはなかった。「カワイー」という形容詞が気に入らなかったとかではなく、その「カワイー」が他の形容詞であったとしても、自分の内面を自分でつかんでいる部分により、手放しで賞賛されるような形容詞にそぐわない違和感だけがあったのだった。ただ、「誰も自分を見てはいない」、とだけ感じていたのが当時中学生の自分だった。
でも、その「カワイー」コールのおかげで、全体から護られた形になり、怒られたり呼び出されたりもなく、適当に休めたというのは得なことだったと思う。逆に、同級生に「調子のるなよ!」と言われたりとか、同級生に呼び出されるということは先輩達が卒業準備に入った後にあったが、行かなかったことはある。呼び出す人というのは決して一人ではしない。

まあ、そんな理由で厳しい部にいられたわけだが、その後2年生で辞めることにした。もうすぐ3年生で部活で自由を謳歌という時期に辞めるということはありえないことなのだったが、自分のパート(ホルン)の同級生と仲が悪く、なによりもう、部に魅力を感じなくなっていた。3年になって下級生に対し偉そうにすることには当然興味がなかった。

同級生にまともに音楽経験のある人はいないに等しく、才能ありそうな人たちは、こぞって先輩達のしごきにより辞めてしまっていた。ひ弱な文化部体質は、運動部的なしごきには耐えられないのだ。では、入部時にあれだけの部員が入るのはなぜか、それは歓迎演奏として入学式に披露するのが吹奏楽部だけだからというのがあり、目立っていたからというのが一つある。それと、下の学年ほど根性はなくなっていっているわけで、以前は運動部的でも成り立っていたのだろう。実際に入学時は先輩達の演奏が良かったから、それで自分も吹奏楽部を選んだという経緯があった。しかし、2年レギュラー当時には個人的に、同級生らと一緒に演奏しながらも、何の感動もイメージも沸かない合同演奏だと感じていたのだから。

そのようにA中の吹奏楽部内部で得るものは少なかったわけだが、あのK中の演奏だけは強烈な印象が残っている。「同じ課題曲なのに、こうも違う演奏が出来るのか!」そのようなことをピアノを始めてからピアノで実感するのはブルグミュラー25の曲の聴き比べからだったが、吹奏楽部の生演奏という場で強く実感していたというのは経験上実になっていたと思う。

今、練習している「トマスアーンのソナタ」の、天上から響いてくるようなインパクトある出だしから始まる曲に、なぜかあのときのシンバルのインパクトが被る。最初にチェンバロで聴いたことも大きいだろう。ピアノを始めて10年目、今の曲に取り組みながら、演奏で自分の音楽を創っていきたいという思いが強くなってきている。



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認知特性テストをやってみた
2018年06月13日 (水) 12:46 | 編集
認知特性テストをやってみました。
医師のつくった「頭のよさ」テストという本に掲載されているテストです。
けもネコさんがやっておられて、興味を持ち、本を買いました。
で、早速テストをやってみた結果、

①視覚優位者 写真〔カメラアイ〕タイプ 26点
②視覚優位者 三次元映像タイプ 23点
③言語優位者 言語映像タイプ 25点
④言語優位者 言語抽象タイプ 25点
⑤聴覚優位者 聴覚言語タイプ 8点
⑥聴覚優位者 感覚&音タイプ 9点

点数が14以下は弱い認知特性
15から25は一般的
26以上は強い認知特性 

・・・なんだかめちゃくちゃ偏ってますね。視覚と言語に偏っていて、耳聴こえてんのかよレベルですね、これ笑
聴覚認知が弱いというと、子供の頃の二つのエピソードを明確に思い出します。

ひとつは、小学校低学年の頃のエピソード。話が聞けなくて、「この子は耳がよく聞こえてないのではないか?」という疑いを担任に持たれたということがありました。どうやら、先生の指示を聞けないことが多かったらしい。それで大学病院まで検査に行くはめになったが、検査結果はいたって正常。

あとは、小学校高学年のときのエピソード。先生が「誰にあてようか?」と言ったときに、当時、やたら僕を敵視するクラスメイトがいたんですが、その人が「(よそ見して聞いてなさそうな)ゆきなぎ!」と言ったんです。しかし、先生は「あの人は聞いてないみたいに見えて聞いているからね。」と言ったことがありました。まあ、流れ的にそういうことだろうと、その答えだけは見て読んで解ったので答えたら、先生は「ほらね。」と言ったけれど、まあ、自分的には見て解ったのであり、聞いてないは当たってましたね笑 どの機能を使って答えが解ろうが結果は同じですが、実は聞いてなかったというやつです笑

言語に関しては、作文を書くのが好きでした。3枚書いて提出しなさいという課題で、30枚書いて提出してました、小学校4年の頃。今は、そんなバイタリティないけど、表現したくてたまらなかった時期だったんだなあと思います。

こういう感覚の優劣は、子供の頃に顕著に見てとれる気がする。実際、高学年ともなると、2つ目のエピソードにあるように、聴覚を使う場面も他の感覚で補っているけれど、低学年のときは聴覚障害疑われるレベルなわけで笑

視覚優位はピアノにどのように影響しているかということに関しては、まず、楽譜を見るのが好きです。とりわけ、古典とバロックの楽譜は見た目の音並びから美しいと思います。・・・うーん、そのくらいかな、自覚出来るのは。でも、楽譜見るのが好きという部分は得といえば得かもしれない。楽譜を美しいと感じられるのは嬉しいことかもしれない。ただ、結局は音源を聞かないとイメージが沸いてこないから、同じといえば同じなのかもしれませんがね。

そういえば、今、3歳の姪が、楽譜は読める(もちろん、導入教材レベルの読譜です)けれど、そのとおり弾けなくてイライラしております笑 読めるけど弾けなくてイライラというと可愛そうに思えるかもですが、読めないし、弾けないだとやる気自体起こらないと思います。大人でも出来ないことはしたくないものですが、子供だとなおさらだろうと。実際に、姪はだんだん根気もついてきて、一度で弾けなくても「もう1回」と言うようになりました。読んだ後に、ちゃんと音名を言いながら指を動かしております。また、手先も器用になってきて(最初はクレヨンが上手く使えなかったらしい)、出来るようになった「色塗りワーク」を家でやって、音符を先に覚えてしまっているようです。譜読みが先!この子、多分視覚優位だろうなあと予想してます。子供となると特に、楽譜は(特にヘ音記号は)結構後まで読めない子も多いらしいので。また、歌詞の入っている楽譜を一番好むようになったので、言語も高いのかもしれません。今後、楽譜が読めることが自信になってピアノ続けられるといいなと思います。対して、好きな曲を弾きたいという気持ちが強い、甥のほうは聴覚優位だろうか。こうして身内にピアノ教えていることもあり、認知特性も生かしていけるといいなと思います。


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ソナチネNo.5 1楽章 ベートーヴェン(演奏動画)
2018年06月02日 (土) 11:05 | 編集

「新・こどものソナチネアルバム」という、一般的なソナチネアルバム2冊から抜粋し、アナリーゼのポイントを解説した本を買ったために、その中で弾いたことないソナチネを弾いていってます。

こうして弾くと、つくづく古典は自分の分野。一番弾きやすいですね。でも、その中ではベートーヴェンは苦手だったんですよ。聴くのはとても好きなんですけれど、弾くとなるとどうにもしっくりこない。だけど、このソナチネはとても弾きやすかったです(ベートーヴェンの作品かどうかわからないという説もあるこのソナチネですが)。
ソナチネ弾いていると自分の分野、という気がして気分的にピアノを続けるにあたっての安定感が出るので、今後もこの曲集は続けていきます。

この曲がらみもあり、他の方のブログ記事を読んだことにも関係し、自分の芸術に対する傾向を最近ちょっと考えていましたが、どうやら「人間臭い表現」というのがとりわけ苦手なようです。
油絵→花を描くと「ガラスの花みたいで割れそうだ、非現実的だ」と言われる。
(絵は生き物より、デザインやポスターが得意。)
詩→「人間としてのゆきなぎさんを感じない」と言われる。
(詩よりも作文の方が得意。)
という経験があります。

でも、言われた感想をどっちも悪い意味には受け取ってなくて、なるほど、作品が人間ぽくないんだなあと受け取っています。そういうところが音楽表現にも出ていると最近思っています。そうなると逆に得意(傾向として生かせるという意味で)も出てきて、モーツァルトだったり、バロックだったり、近現代の印象派的なもの、ロマンもロマン派初期がしっくりきて感覚的に弾きやすいという。

以上、芸術傾向からの自己分析でした。
惹かれると言う意味では、激情型の演奏や表現に惹かれます。自分が持っていないものに惹かれるのですね。昔は、そういうのを見聞きすると自分もそうなれたらと思ったものだけれども、今となっては、自分にもそれはそれで価値があると思えるようになってきたので、羨ましくて死にそうとか(笑)は思わなくなりました。

次回は認知特性のテストをやってみた話と、ミヨシ・メソードの5巻続きのアップです。


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